ツーストライク・スリーボール

そのうち忘れ去られてしまうと思うので、そうなる前に記憶を残そう。
今世紀初めくらいまで野球中継のアナウンサーは「さあ、九回裏二死満塁、カウントは2ー3(ツー・スリー)」と絶叫していた。球場のスコアボードもテレビの画面もボールカウントはSBО順の表記だった。
メジャーリーグ中継が増え、WBCみたいな国際試合が定期的に行われるようになって、ベースボール流に3ー2(スリー・ツー)と叫ばれるようになり、BSО順に表記されるようになったのだ。

 

日本でSBО順の表記が普及した理由はよくわからないらしい。ただストライクが先に意識されるというのは投手の目線ぽい。ベースボールと「野球」は違うスポーツだという人もいるくらいで、前者が何点とって勝つかを目指し、後者が何点に抑えて勝つかを目指すように進化したと考えるのは、そう不自然でもないだろう。

 

で、ここからは僕の仮説である。

「野球」は沢村栄治投手がベーブ・ルースルー・ゲーリッグを三段ドロップでキリキリ舞い(byピンクレディー「サウス・ポー」)させたことで始まった。そして、もともと豊富にあった剣豪たちの物語という土壌の上に魔球を駆使する投手が主人公のマンガが数多く描かれて人気を博したことで、「野球」は「野球」になったのではないだろうか。サムライ・ジャパンというネーミングにもそんな無意識が反映されてるような気がするのだ。

また、一人の優秀な投手がいれば勝ち進めた昭和の高校野球の人気も無視はできないだろう。

 

キャプテン翼』や『スラムダンク』を持ち出すまでもなく、スポーツの普及におけるポップ・カルチャーの影響は小さくはないはず。だとすれば、研究に値する現象も数多くあると思うのだが。

 

追記

野球のユニフォームのストッキングの部分が忍者っぽいと思って…アメリカに渡った忍者が野球の成立に深く関わるなんて話を創れないかと試行錯誤したのは黒歴史

 

 

 

トリクルダウン

「お金持ちを優遇すれば、経済が活性化し、貧しい者にも富がゆきわたるようになる」というのが「トリクルダウン理論」。
1980年代にレーガン大統領の経済政策の拠り所として知られるようになって以来、その真偽についてはいろいろ議論されてきた。
21世紀となり貧富の差がますます拡大する今日この頃は「やっぱりインチキだった」という声が大きい気もする。

 

だが、経済の枠組みにこだわらなければ、トリクルダウンが機能した状況はあったと思う。神保町の古本屋でガルシア=マルケスの『百年の孤独』が百円、キルケゴール死に至る病」が収録された『世界の名著』が三百円で売られているのを見つけたとき、そんな考えが頭を過った。
20世紀後半の日本では、第二次世界大戦に敗れた結果、欧米文化の解禁や支配者層の解体によって大量の知識がばらまかれ、高度経済成長の波に乗って、市井の人々の暮らしの中に浸透していったのではないか、と。

 

「応接間を飾るためだけに百科事典や文学全集が売れるとは」とか、「デパートの物産展の隣でなぜ美術展が行われるのか」といった揶揄もあった。池袋の西武デパートを中心にリブロやWAVEやシネセゾンを擁して君臨していたセゾングループは、経営に行き詰まり、Loftと良品計画に残り香が感じられる程度にまで解体されている。
それでも、インターネット時代を迎えてマンガやアニメーションやシティポップが世界的評価を受けているのは、この時代に広められ蓄積されていったものが花開いた結果なのだろうと思うのだ。

 

いわゆる中二病患者はどこからその材料を仕入れていたのだろう、と言い換えてもいい。身の回りの知識を集めるうちに高等教育を受けることになっていた元患者としては、こんな比較の観点からトリクルダウン現象の分析が進めば面白いのにと考えている。