トリクルダウン

「お金持ちを優遇すれば、経済が活性化し、貧しい者にも富がゆきわたるようになる」というのが「トリクルダウン理論」。
1980年代にレーガン大統領の経済政策の拠り所として知られるようになって以来、その真偽についてはいろいろ議論されてきた。
21世紀となり貧富の差がますます拡大する今日この頃は「やっぱりインチキだった」という声が大きい気もする。

 

だが、経済の枠組みにこだわらなければ、トリクルダウンが機能した状況はあったと思う。神保町の古本屋でガルシア=マルケスの『百年の孤独』が百円、キルケゴール死に至る病」が収録された『世界の名著』が三百円で売られているのを見つけたとき、そんな考えが頭を過った。
20世紀後半の日本では、第二次世界大戦に敗れた結果、欧米文化の解禁や支配者層の解体によって大量の知識がばらまかれ、高度経済成長の波に乗って、市井の人々の暮らしの中に浸透していったのではないか、と。

 

「応接間を飾るためだけに百科事典や文学全集が売れるとは」とか、「デパートの物産展の隣でなぜ美術展が行われるのか」といった揶揄もあった。池袋の西武デパートを中心にリブロやWAVEやシネセゾンを擁して君臨していたセゾングループは、経営に行き詰まり、Loftと良品計画に残り香が感じられる程度にまで解体されている。
それでも、インターネット時代を迎えてマンガやアニメーションやシティポップが世界的評価を受けているのは、この時代に広められ蓄積されていったものが花開いた結果なのだろうと思うのだ。

 

いわゆる中二病患者はどこからその材料を仕入れていたのだろう、と言い換えてもいい。身の回りの知識を集めるうちに高等教育を受けることになっていた元患者としては、こんな比較の観点からトリクルダウン現象の分析が進めば面白いのにと考えている。